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ダム湖に沈んだ両班(ヤンバン)の里
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9月のはじめ、僕は韓国中部の深い山の中にいた。

最寄りの駅まで迎えに来てくれた69歳の詩人、金源吉さんの車で、山間のダム湖を見下ろしながら約1時間。ようやく彼の自宅に到着した。

自宅といっても、人里離れた山の斜面の広大な敷地に、韓屋と呼ばれる豪壮な伝統建築の建物が10棟。貴族の荘園のようなたたずまいに驚いた。

それもそのはず。金さんは両班(ヤンバン)と呼ばれる貴族階級の末裔で、一族の長として李朝時代から続く伝統集落を守ってきたひとなのだ。

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鎌倉市と姉妹都市縁組みをした韓国・安東(アンドン)市の歴史を調べていたときに、金さんと集落のドラマチックな出来事を知り、すぐにコンタクトを取って、お宅を訪ねることにしたのだ。

安東は儒学のふるさとと言われ、鎌倉のように学問や芸術が尊ばれる古都だったが、近年は韓国南東部の水がめとして巨大なダムが建設され、アメーバが触手を拡げるように山林を広大なダム湖に変えていった。

金さんに案内された今夜僕が泊めてもらうオンドル部屋からは、眼下に満々と水をたたえたダム湖を見渡すことができた。

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「ここから数キロ先、あの岬の先あたりの湖の底に、私たちの村はあったんだよ。」
窓からの風景を見ながら、金さんは波ひとつない鏡のような湖面を指さした。

一族の多くの者は政府からの補助金をもらって、次々とソウルに転居していき、金さん夫妻と年老いた両親だけが村落に残った。国の権限が強い韓国では元貴族といえどもダム建設を覆すことは容易ではない。しかし、600年続いた両班の文化をダム湖の底に沈めてしまう訳にはいかなかった。

地元の大学で現代詩を教えていた金さんは、ダム建設を期に教授の職を投げ打ち、安東の両班文化の歴史を後世に伝えるための活動を開始しすることにした。
政府と直談判し、10棟の歴史上貴重な集落と建物を丸ごと山の中腹に移築することを承諾させた。

徐々に高くなっていくダム湖の水かさに追い立てられるように、丸々4年かかって全戸の移築が完了した。集落の入口に門棟があり、長老の住まいである主屋や書院など、湖底にあったとおなじような集落が再現された。
金さんは、ここをかつて科挙を受験するする若者たちが学んだ書院と同じように、儒学や現代詩の講座を持つ学術の場として活用することに決めたのだ。

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敷地内の一番高いところにある金さんの書斎に案内してもらった。寺の本堂のような空間に何列もの書棚が並び、夥しい数の書物が並んでいた。
「これはほんの一部。蔵書の大半は大学に寄贈したんだよ。」
正面の戸を開け拡げると、ここからもダム湖が一望できた。詩人はここから湖を、そして故郷だった村落が沈むその現場を見下ろしながら、本を読み、詩作し、研究者や学生を迎え入れているのか。

その夜、大型バスが門の前に着いた。年に2回、ソウルから一族がバスを仕立ててふるさとに帰ってくる日だった。

50人近い人々が広場に集まり、母屋の縁側の安楽椅子に座る一族の長老(金さんの父親)に順番に挨拶をしていく。94歳のおじいさんは、白い伝統服に身を包み、ひとりひとりの挨拶に笑顔で応えていた。
年長者を敬う儒教の教えそのままの光景が、映画の一シーンを見るように目の前で展開されていた。
一姓一村の伝統的な集落だったから、集まった人も全員金姓である。ダム建設でバラバラになって20年。いまだに年に2回、一族は長老に会いにはるばるふるさとにやってくるのだ。
長老と一族の人々との語らいは、夜遅くまで続いた。

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翌朝、金さんに誘われて敷地の背後の小山に登ってみた。湖がなかった頃の、集落が谷間にひっそりとあった頃の地形が、一層はっきり感じ取れる見事な山並みが朝靄の中にあった。
ふたりで、ぼそぼそと言葉も交わしながら、湖面を見やっていた。

「昔のままの光景ですか?」
「静けさも、吹く風も、季節の花々も、昔のままだ。一族の暮らしはないけれどね。」

山を下りるときに、一冊の詩集をみやげにとくれた。日本語訳で出版された金さんの詩集だった。
ソウルに帰る一族のバスに便乗させてもらって街まで下りる車中で、詩集の中のこんな詩を見つけた。

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ナルキッソス


真夜中の森と湖に注ぐ
かすかな月の光
星たちは宝石が触れ合うような音を奏でていた

カシワの森が揺れているので見ると
森からそっと現れた人影がひとつ
水辺に腹這いになって
手で落ち葉をかき寄せては
水の中を覗き込んだ
再び水をかき回してから又覗き込み・・・・・

笑い声なのか 泣き声なのか
分からなかったのは
岸辺に寄せる波の音のせいだったろうか

頭を上げた彼が
獣のように
月を見て泣いたとき

その時私は見た
彼がナルキッソスであることを
ライ病にかかり顔が崩れた
ナルキッソスであることを!

             (志賀喜美子訳)
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他人を愛する力を奪われ、自分を愛することしか許されなくなった、ギリシャ神話のナルキッソス。
両班の末裔である自分が、なぜ敢えて現代詩の詩人の道を歩むこととなったのか。
人知れぬ葛藤や思いがあったのだろう。
鏡のような湖を覗き込み、湖底に沈んだ故郷にいつまでも思いをはせる自分に、一瞬、詩人はナルキッソスの姿を見たのだろうか。


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by shonanvil | 2013-12-22 12:36 | じゃらん日記NEW
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