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避難所の朝食
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これ、宮城県南三陸町の二次避難所のひとつで、被災者の皆さんと一緒に食べた朝食。

なかなか、リッチでしょ。
それもそのはず、界隈では名の知れたリゾートホテルの中に設置された避難所なのだ。

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ここでは、シャンデリアの下でビュッフェスタイルの朝食。ホテルスタッフも被災者という人が多いが、子供達に「たくさん食べて元気を付けてね」と声を掛けながらサービスしていた。

津波でほぼ壊滅状態となった南三陸町志津川地区。

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そこから入江を挟んで南に5キロほど下った崖の上に建つ「ホテル観洋」。

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下の階は被害を受けたものの、地震後電気が開通すると、ホテルの女将が、子供のいる世帯や高齢者世帯を中心に被災者の受け入れを決定。

従業員も3分の1が家を失うなど大半が被災したが、地元の人のためにと多くのスタッフがホテルに戻り、避難者600人と、復興工事に全国から集まった工事関係者に部屋を提供した。

長らく水道も止まり、給水車に頼る毎日。トイレも建物の外の仮設トイレを使うという状況だったが、震災から3ヶ月後、ちょうど我々がここを訪れたその日に、栗田工業、戸倉工業、日本財団の支援で海水を淡水に変えるプラントの設置が完了し、各階ひとつのトイレが使えるようになり、悪臭や衛生問題も解消した。

さらに、大浴場での入浴も可能になった。

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待望の朝風呂に向かう男性。

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ホテル自慢の大浴場。ガラス張りの窓の外に広がる湾には、かつてワカメや牡蠣の養殖筏が並んでいたが、津波で消滅してしまった。

このホテルには全国からボランティアがも集まり、子供のための勉強サポートや古着の提供、中古車情報や仮設住宅の抽選結果など情報提供も行われていた。

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体育館などの一次避難所に比べると、生活環境はなかなか恵まれていると言えるけれど、とは言ってもここは避難所。
深夜、眠れない夜を結婚式用チャペルの椅子に座って過ごすお年寄りや、早朝に志津川の瓦礫を遠望するガラス張りのロビーで、ぼんやり海を眺める人の姿を見かけた。

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志津川湾の向こう、朝靄に隠れた先に壊滅状態の街がある。ここに避難しているひとの家も、その中にあったのかもしれない。

それでも、制服姿での朝食後、通学カバンを持って元気よく登校する子供達の笑い声は、日常生活に欠かせない元気・活気をホテル中に振りまく。

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豪華なホテルの廊下と制服姿。不釣り合いな光景の違和感を吹き飛ばす、子供達の元気さだ。ここから街の学校まで送迎バスが用意されている。


先週の新聞報道に寄れば、仮設住宅への移動などでホテル観洋にとどまっている避難者も、いまは10名ほどを残すだけ。

1階の露天風呂も再開するなど、ホテルは一般営業を徐々にはじめた。

避難家族にはできるだけおいしい食事をと、なかなか手に入らない食材を工面しながら食事提供をし、スタッフ達はおにぎりや笹かまぼこだけで過ごした日々。
そんなスタッフの皆さんの共通体験が、ホテルマンシップを高め、それがきめ細かな客対応にも確実に表れていた。

東北のこころを感じさせるこのホテルの復興は、東北の復興のあり方のひとつの道しるべとなるのかもしれない。
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by shonanvil | 2011-09-15 09:19 | じゃらん日記NEW
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